非凡な才能をください。

都心でサラリーマンやってます。書きます。

身内にいるお金持ちのおじさんの話

小さい頃、私の家族は金銭的に中流階級くらいなのかと思っていた。

父親が都心の会社で働いており、母は専業主婦で、郊外に家を購入して暮らしていた。年に数回の家族旅行がある程度に余裕はあったが、スーパーで買い物をする時には親が値段をかなり気にするなど普段から節約を心掛けていたのを覚えている。

 

大学や会社でたくさんの人に出会い、様々な価値観や家庭環境を知った経験をもとに、自分の家族について振り返ってみると、まあ自分が小さい頃に感じていたよりも、世間的に見ればもう少し下の方にいたのかな、とも思う。(判断基準としている要素は出身地、居住地、親族、親の仕事、お受験、容姿(特に歯並び、髪、肌、服、靴)、言動、話し方、出身大学、会社とか色々あるが、明確ではない。)

 

とは言っても、自分と同じか、もしくは近い階級の中でしか、基本的に出会いは発生しないため、経験則で自分の位置を測るには、あまりにも主観的である。しかも、実際に自分がいる階級から、比較対象となる階級が離れすぎている場合、そこには気付くことのない階級が存在するため、社会全体のどの位置に自分がいるのか、知ることは難しい。例えば、最近ニュースになっているエアガンの虐待事件が起きる背景とか全く理解できないと思うし、共感できないだろうと思う。それから日本の大企業には、両親が研究者や経営者で、私立一貫校出身や帰国子女で地頭のいいエリート(これまでの人生で自分が属したコミュニティで、一度も出会わなかった!こんな人たち一体どこにいたんだ?という価値観や性格を持つ人もいる!(聖人君子!))が普通にいるし、雲の上の存在も当たり前にあって、普通に会社員をしていれば出会わない人もたくさんいる。

一方で、世の中一般に公表されている数字で見ると、普通に中の中くらいの階級であると判断されるが、客観的に定量評価することは、上記に並べた要素は数字にならないものもあるため、本質的ではないと思われる。ということで、中の下くらいなのかと勝手に自分の中で結論を持っている。

 

 

前振りが長くなったが、以下が本題になる。

 

 

先日、身内のおじさんに出会った。かなりお金持ちのおじさんだ。彼は、私の祖母の兄の子供だ。祖母とその兄は田舎の出身で、小さい頃から実家の商店の切盛りをお手伝いしていた。その兄は、二十歳の時に一大発起し、事業を成功させ、六本木や銀座の一等地にビルを構えた。それから華族にゆかりのある方と結婚され、長女、長男、次男を授かった。祖母の兄は早くに亡くなったため、今は祖母の兄の妻と長男と次男で暮らしている。この次男をお金持ちのおじさんと呼んでいる。

おじさんはどういう訳か、私を小さい頃から家に招待しては、遊戯王カードのパックなど何でも欲しいと言ったものを買ってくれた。コンビニで箱買いさせてくれることもあり、小さい頃はとにもかくにも「とりあえず親戚のやばい人だ」だと思っていた。それから中学生になっても、お金をくれたり、ホテルのランチやディナーを何度もご馳走になったりした。数え切れないくらい。とにかくお金持ちだった。

理由は上述したとおり、祖母の兄が残した莫大な財産と一等地に保有するビルにテナントを入れて、金が湯水の如く湧いてくるからだ。とにかく羨ましかった。

中学校を卒業したあたりから、色々訳あって、会わなくなっていった。が最近になって、また訳あって再会した。最後に会った時から、10年くらい経ち、既に70歳を超えている。それなのにスタイルが抜群に良くて、かっこいい。50歳と言われてもわからないだろう。毎日運動して、ゴルフ、ジムに通い、肉も魚も好き嫌いなく毎日三食食べているそうだ(どんだけ元気なことか)。更に驚くことに、その母、つまり祖母の兄の妻であるが、100歳に近くになるにも関わらず、ボケずに家で平気で暮らしており、毎日三食しっかり食べて、規則正しい生活を送り、ビールも飲みまくるではないか!それからシワの重ね方が美しいとも思った。そして2人とも先ほど上に書いたような聖人君子であった。印象的だったのは「家族はみんな大切なんだ。いつでもうちに遊びに来てね。また来てね。」と心から話しかけてくる2人だった。

この家は不思議だと思った。また自分の家族とは住んでいる世界が違うと思った。

 

家に帰って、この話をしたところ、親はこう言った。

「お金があるから苦労しない。苦労しないから人生楽しいに決まってるでしょ。そうなるよ。」

なんでも、祖母の兄のお金だけではなく、祖母の兄の妻自身も実家が太かったために、いい育ち方をした上に、これまで働いたこともないそうだ。子供も自由にさせているため、長女、長男、次男も働いたことがないそうだ。それでも何不自由なくやっていける。(長女などの娘達の子供、つまり孫は働いてるそうだ。孫の世代から働き出した!それでもやっぱり聞いたところ煌びやかな仕事でした)

 

でも本当にそうなんだろうか?

こういう環境で、こういう生き方をすれば、必ず幸せになれるのだろうか?聖人君子のように立派な人になれるんだろうか?お金とか環境があって、初めて心の余裕が生まれて、立派な人格を形成することには繋がるのだろうが、それは十分条件ではないはず。

答えは良くわからないし、私はそんな環境がなかったし、全然違う生き方をして、人格を形成した。それを受け入れた上で、理想に近づくためには、一体なにが必要なのか。辿る道は違うけど、とりあえずあれこれやって財産を形成して、見える世界を変えてみるところからアプローチするのがいいのかと短絡的に考えたりしてみたり。はたまた、本当は「理想の人格」ではなくて、「理想の環境」の方に欲が傾いていて、自分で誤魔化しているだけなのでは?と、まずは自分の感情に正しく向き合えているのかどうか確認してみたり。

 

問題提起はもう少し考えた上でしたいと思う。とりあえずメモでした。