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平成男子

東京に暮らしている大学生の日記です。コメントください。

外国語話してる時、声のトーンというか人格違くない?

エッセイ 学問

言葉によって人格が変わるのか?

と言われれば、間違いなくイエスと答える。

 

初めて気付いたのは20歳の時だ。

留学中に日本人を含んだ多国籍のグループで遊んでいた時のことだ。

「平成くんって英語と日本語のトーンが違うよね!」と日本の友人に言われたのだ。

あ!たしかに!と周りの友人も同意し始めた。それから○○ちゃんも日本語の方が声低い!となんだか日本人の中でトーンの違い探しが始まった。

 

結果:日本語の方がトーンが高い人と低い人が両方いた

 

トーンというよりも性格や人格がそもそも違うと言った方がいいのかもしれない。

最初指摘された時は、なんて答えたらいいのかわからなかった。

咄嗟のことで相手が何を指摘したかったのかわからなかった。

ただ単に声のトーンが違うね、と言いたかったとは考えられない。

きっと、あなたの本当の姿はどちらですか?と問いたかったのだと思う。

それから僕は英語の方が声が高く明るいことから、海外にいる僕は偽りの僕だという風に一瞬にして思いついて、なんだか少しだけ後ろめたさみたいのを感じた。

それでも他の友人もそういう経験があるよ!という話をしてくれたので安心した。

 

それから言語の違いを意識して生活してみると、

僕だけではなくて、周りの友人でもかなり違う人が多くいた。

それはもちろん、スペイン語でもフランス語でもドイツ語でも中国語でも同じだ。

 

では何故、外国語を話すときに人格は変わるのだろうか。

それはきっと学習の過程にあると僕は考えている。

 

僕は日本人だから、もちろん日本語が母国語だ。

日本語は生まれてから自然と身についていく。

誰かの真似をするわけでもなく、自分で話したいことを

自分で話したいように操ることができる。

 

しかし、外国語の場合はこうはいかない。

自分で話したいことを事細かに話すのは中々難しい。

そこで定型文を頭の片隅に入れておくのだ。

たとえば、I'd like to ~ とか could you help me ~ とか。

そこで自分が話したいキーワードを入れていくという言葉の繋ぎ方をしている。

 

しかも、こうして文章を覚える過程において、

必ず誰かが発言した言葉や映画の言葉を自分の中に保存するという方法を取っている。

だから、聞いた時のトーンや話し方が真似した人に似てくるのだ。

身振り手振りだって自然と出たり、おどける顔を見せてみたり、いつもと違う自分がそこにはいるようだ。

というか、こうすることが自然とスピーキング能力を高める方法だと自分で気付いていたので実践していた。そうこうするうちに、明るい英語人格が形成されたんだと思う。

 

それから敬語を意識する必要がない。

話す相手の年齢によって言葉を考える必要もない。

こうしたことも人格が異なる要因なのかもしれない。

 

僕の友人の一人は英語だと言ってることが少し変でも、

ネイティブじゃないからうまく表現できないんだな、と見られるから

気楽に何でも話せるよ、と言ってた。

確かにそういう要素もあるなあと思った。

 

二重人格なのか、自分を偽って生きているのか、とか

ふとした瞬間に思うことがあるけど、何も問題はない。