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平成男子

文系学部新卒SIerです。

留学中に出会った不思議な女の子の話

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美海はドイツにいて、僕は日本にいる。


まともな挨拶もしないで僕は飛び立ったのだけど、嫌いになったとか別にそういう訳ではないんだ。

これは勝手な意見だけど、なんとなくお互いの許せる距離や時間がわかっていて今は違うタイミングだと思ったんだ。

 

証拠なんて自ら進んで示すものではないと思っていても、言わせて欲しい。
今だって共に過ごした思い出の数々をまぶたの裏にはっきり見ることができるし、それらはサハラ砂漠で見る星空のように眩しいくらいに輝きを放っている。

        *

19歳の秋、僕はドイツの田舎町にいた。
その時、熱とラクダがサハラの全てだと思っていた僕にその素晴らしさを教えてくれたのは美海だった。

「わたし、サハラ砂漠に行くわ。」美海の暮らす家で二人で晩ご飯を済ませた時、彼女は突然そう言った。
「サハラってエジプトでしょう。テロが起こるかもしれないし危ないよ。」
「テロなんて世界中で起こっているわ。それにサハラ沙漠はアフリカ大陸に広がってるのよ。何もスフィンクスを見に行くわけではないんだから。」
「まあそうだけど。」と僕は言った。
サハラ砂漠には星を見に行くの。光も何もないところでただぼーっとして星を眺めるの。」
美海は旅行の話をすると本当に柔らかい表情になる。
年を重ねるごとにその柔らかさは魅力を増すんだろうなあ、と感心していた。

彼女が腰を上げて、食器を運び出したので手伝った。
もし一人で行くなら、僕も一緒に行くよ、とお皿を洗いながら僕は言った。

美海は僕の顔を深く覗き込んで、表情から見える何かを見透かそうとしていた。
何気なく言っただけだったが、なんだか恥ずかしくなってきた。
いいからお皿洗って、と直子は笑いながら言った。

「じゃあ率直に言うけど、一緒に行きたい。」
「砂漠に寝泊まりするとして、サソリとか熱中症とか他にも色々と危険があるけど、一番の危険物はあなたね。」
僕は少し返事に困って笑った。そして彼女も笑っていた。

この頃、僕らは付き合っているのか、付き合っていないのかよくわからなかった。
休日に会っては色々なところへ出掛けたし、彼女の家でこうしてご飯を食べることはごく自然なことになりつつあった。彼女は確実に僕の日常の一部になっていて、セックスも2回だけした。
それでもやはり、会話の中で「泊まり」という言葉が出てくるとあれこれと意識してしまうものだった。
しかも彼女はそんなことにまで冗談を言うのだから、笑うしかなかったのだ。

結局、そのまま黙々とお皿を洗い続けて、テーブルを片付けた。
僕はこのテーブルが好きだった。日本の家庭でよく見るそれとは違って、使えばつかう程良い味が出てきそうな濃い飴色をしたテーブルだった。おじさん曰く、自然塗料で環境に優しいらしい。これがドイツの技術だ、とむかし自慢しながら色々説明していた。

ああ、おじさんというのは ー
彼女は50歳くらいの独身バツイチの純粋なドイツ人のおじさんの家でホームステイしていた。
ツッコミどころは色々あるが、彼自身が俺は純粋なドイツ人だ、なんて言っていたから僕はこうでも書いておくべきだと思って書いたまでだ。

おじさんが「純粋」に拘るのはきっと、フランクフルトを見ても、田舎のヴッパタールを見ても、21世紀のドイツは移民や世界中のビジネスマンで溢れていて、誰がドイツ人かなんて見た目じゃ判断するのは難しいからだろう。僕はそうやって判断するのもおかしいし、そもそも何が純粋とかどうでも良かった。

彼の年齢やバツイチの理由など細かいことはよく知らないが、僕は彼の家がとにかく好きだった。
家の様相はドイツらしい重厚さを含んだ木組建築で、大きな庭を南につけていた。庭には石囲いの池もあって、塀の近くには木々が沿って植えてあった。キッチン用品はお世辞にもキレイとは言えなかったが、長年使われたであろう様々な種類の器具は特有の職人魂を思わせた。

家はお国柄やお人柄を表すなんて言うけれど、きっと長く付き合えば僕はおじさんにも親しみを持つことができたと思う。
あの時、美海と二人でドイツの家に半同棲のような形で暮らすことができたのも、彼のおかげだ。

          *

テーブルの前の椅子に座って、二人で音楽を聴いた。
グリーン・デイのWake Me Up When September Endsを何度もリピートした。

「もし本当に行くことになったら一緒に行こう」と彼女は言った。
「もちろん」と僕は喜びの表情を先行して言葉で返答した。
「今も世界の至る所で砂漠化が進んでいるでしょ?アフリカ大陸は進行が早いから、間もなくただの砂漠になってしまうと思うの。とても残酷なことなのに、私はそんな世界で星を見たいと思ってしまうのよ。」
「君は砂漠中毒だと思う」
「それを叶えるために、人工的な脳とか内臓とかを受け入れてみようとも考えてみたの。それでもやっぱり恐いのよ。だってもし自分が生き続けるとしても、脳がアーティフィシアルなら、私の意志はどこに行ってしまうのかと思ったのよ。そして記憶の断片だけを持って生きて、そこにいるのは本当の私なのかもわからないでしょ?」
「そうしたら僕も一緒に脳みそを人工的なものに取り替えるよ。」

「本当に?」

「ほんとだよ。」誰も見ている人なんかいないのに、二人は未来人を装った役者となって劇を繰り広げていた。むしろ気を許した二人の世界だからこそ、こんな滑稽な会話を真剣に楽しめた。

「とにかくそれくらい、行きたいの。」
「Which do you mean, live or go?(生きたいの?)」
「Nope, I mean I WOULD LIKE TO GO (違う、行きたいの。)」彼女は少し訛りのある英語で照れながら言い返した。
たまに英語やドイツ語を交えて話すこともあったが、彼女の外国語の話し方は可愛らしかった。だからつい僕も外国語で話そうとしてしまうのだった。

その日は夜遅くまでずっとサハラ砂漠について話したり、調べたりして、二人で妄想を膨らませた。
こんなくだらないことで楽しめる相手を、僕は人生で今後一生見つけることができないと感じて、彼女を抱きしめたいと思った。

こんなふうにして僕がまだドイツにいた頃、二人でよく夢旅行をした。
夢旅行とは、言ってしまえば、旅先の写真や情報を調べて素晴らしさを語り合う僕らが考えた遊びだった。
学生なりのお金と知恵の使い方をよくわかっていた。そして人を好きになるということを知っていった。

そんな夢旅行の最後の地はサハラ砂漠であった。
僕の旅行はまだ夢の途中にあって、実現の目処は立ちそうになかった。

         *