芥川賞のコンビニ人間を読んで胸が痛い人、共感できる人
村田沙耶香のコンビニ人間を今更ながら読んだ。
既に第156回芥川賞も発表されているので、本当に今の今になってという感じだ。
ページ数も文字数もそんなに多くないかな、と思ったのが第一印象だ。
きっとボリュームがない、と不満に思う人もいるだろう。
でも一冊の本として、確かに伝わるものがある。
読み進めるうちにひしひしと胸に伝わってくる。
芥川賞なのに、心を動かす面白さがある!と思ったのが読後の感想だ。
あらすじはこんな感じ。
三十代半ばのヒロイン古倉恵子は大学卒業後に就職することもなく、コンビニのアルバイトを続けながら生きていた。子供の頃から普通ではないと思われていた彼女は周囲の人たちの真似をしたり、妹の助言に従ったりすることで普通の人間を演じて生きていた。そこにメンヘラな新人バイトの白羽という男がやってきて、ひょんなことから奇妙な同居生活を始める。周りの人間関係を取り繕うことに便利な男として認識をし、なんだかんだで同居は続く。彼の要求でコンビニを辞めて、就職することを決意。しかしやはりコンビニがやめられませんでした〜という話。
又吉がコンビニの細かい描写がものすごくわかる。
と推していたけど、僕に響いたのは人間の感情の方だった。
古倉は小さい頃から自分が普通ではないという違和感を感じて生きてきた。
それでも適当に周りの人間に言動を合わせるだけで、本気で社会に適合していこうとは考えていなかった。だから就職という道を何度も母に仄めかされていたにも関わらず、無視してコンビニでアルバイトを続けた。中途半端に生きることを決めたのだ。
普通の人間になるのは無理だと諦めた人間が何となく生きる話。
実はそれはとても辛いこと。
相手の共感を得るためだけに、常に気を使わなければいけない。
気を使えばそれだけ、偽りの自分が増えていく。
偽りの自分に共感してもらっても、本当の自分に共感してくれる人はいない。
そもそも本当の自分って何だろう?と空っぽの自分に気付く。
恋愛経験が一度もないというだけで、周りから一歩距離を置かれた。
社会不適合者だとか、面白い人間だとか、変なレッテルを貼られる。
僕の場合、恋愛経験もあるし結婚適齢期を逃している訳でもないから、わからない部分もある。けど古倉のレッテルを貼られて焦る気持ちが物凄くわかる。
レッテル貼ってる奴らはさ、ただ楽しんでるんだよ。
最初は貼られた側も楽しんでるんだよ。お互いハッピーなんだ。
この古倉の時も、白羽という彼氏ができた途端、周りからチヤホヤされた。
でもある時気付くんだ。
あれ?これってレッテル貼られてバカにされてるだけじゃん。
お互いハッピーだったのは、レッテルに気付かなかっただけなの?って。
この古倉と白羽の関係に「人間コンテンツ論」が色濃く現れている。
しかも白羽はそれに気付いるんだ。でもどうしようもない。
仮に、このレッテル貼られている人間が化けることだってある。
本当に愉快な人間だ。バカにされてることに気付くことなく伸びる人間。
仮に、このレッテル貼られている人間がただ幸せに生きることだってある。
これは社会でよくあるパターンや。異端は才能でもあったりする。
もし、気付いてしまったら。白羽のように自意識とプライドと戦うことになるだろう。
逃げるか立ち向かうかの二択になるのだ。
この過程がよく描かれている本がダニエルキースのアルジャーノンに花束を。
これって著者の村田さんは恋愛というテーマをストーリーに組み込んだけど、上手くここの表現ができれば何でも良かったんだと思う。そんでここまで、人間の心理を深い洞察力と豊かな表現を持って文字に起こすことができるのはすごい。ただすごい。
村田さんも絶対に一度闇を抱えた人間だな、と思った。メンヘラかうつ病か何か。
そんな風に思ってしまうほど、すごい小説だ。
僕なんか今、全然上手く言葉にできなくて困っている、。イライラする。
いつか自分の言葉でまとめられるようになったら、またこの記事を書き直そう。
普通の人間になるのは無理だと諦めた人間が何となく生きる話、という部分に戻る。
そう、小さい頃に愛を注いでもらわなかった子供達は心のどこか欠けてしまっているのかもしれない、。
人の目を見て挨拶できない。携帯を見てご飯を味わえない。離婚の増えた家庭。父親のトラウマ。嫌なことがどっか心の隅にあるんじゃないだろうか。
最初の方で、古倉は親に愛情を注いでもらったと言っているが、どうしてそう言えるだろうか?
DMMアカデミーの亀山さんの言葉が脳裏に浮かんだ。
「貧乏でも、きちんと愛情を受けてきた子」
シビアな世の中だなあ